ケヴィン・ケリー著作選集1より「無料より優れたもの」感想

2011-12-16 技術書

達人出版会さんから無料で出版されているケヴィン・ケリー著作選集1を読んだので、これから数回に分けて感想をまとめていきたいと思います。

「ケヴィン・ケリーって誰?」って方には、この本の序文で氏の経歴や人となりに触れられています。
簡単にまとめると、主に情報技術分野(それ以外にもいろいろあるが)の雑誌や書籍などで活躍されている方です。
ちなみに自分はこの本に触れるまで氏のことはほとんど知りませんでした。
氏の業績と興味深い記事に触れるきっかけを下さった邦訳の堺屋七左衛門氏、そして氏の和訳記事をまとめて無料出版された達人出版会さんには頭が下がる思いです。

この本では25章それぞれで、一部繋がった部分もあるものの基本的には別の話題を扱っています。
おそらく1章が元のブログ記事1つに当たっているのかと思います。
基本的に扱っている話題は情報技術、とくにインターネットにおけるコンテンツのあり方がメインですが、それ以外の話題も結構あります。
今回は第1章「無料より優れたもの」の感想をまとめていきます。
全体通してもこの第1章が三本の指に入るくらい、自分にとっては印象的でした。
正直、インターネットに関わる人はこの章だけでも読んでみるべきだと思います。
賛否を問わず、何らかの新しい発見があるんではないでしょうか。

さて、1章のタイトルになっている「無料より優れたもの」とは、つまるところ、コピーの蔓延するインターネットの海の中で価値を持つ、コピー出来ないもののことを指しています。
例えば、今や音楽データはYou Tubeやニコニコ動画を始め、あらゆる所で無料で手に入れることができます。
「それは違法動画だ!」とか言われるかもしれませんが、最近はそうでもなくて、例えばAKB48のPVなんかはYou Tubeで公式が配信しています(しかもフルバージョン)。
ニコニコ動画でも公式チャンネルを出す企業が出てきていますし、この流れは多分加速していくんじゃないかと思います。
さらに、(違法である、ということは一旦置いて)WinMXやWinny、Share、BitTorrentといったファイル共有ソフトによって、無料で様々なものが手に入るようになったのはご存知のとおりです。
事の善悪は議論しませんが、そんなわけで大抵のソフトウェアやデータなら、ネットを使えば手に入るような時代になりつつあります。
そんな中で、無料で手に入るものがどうしたら売れるのか、売れるならユーザーは一体何に(どこに)お金を払っているのか、ということを、この章では考察しています。

氏によると、「無料より優れたもの」には8つのカテゴリーがあると思われるそうです。
簡単に各性質をまとめていきます。
・即時性
これは、「欲しいと思った時、すぐ手に入る」こと、例えば映画を公開直後に見たい、ベータ版を入手したい、などを挙げています。
・個人化
「自分に合わせたものである」こと、例えば部屋に合わせて最適化された音源、自分の体質に合わせて調合された薬、などを挙げています。
・解釈
「情報がどういう意味をもつかの解釈」、それ自体に価値がある場合。ApacheやRedHatのユーザーサポートなどを挙げています。
・信憑性
「それが本物かどうかの保証」、バンドから直接買った音源や、デジタル透かしの入った写真などを挙げています。
・アクセスしやすいこと
そのまんまですね。本では「アクメデジタル倉庫」を挙げていますが、個人的にはEvernote辺りのほうがイメージしやすいと思います。
・具体化
「情報を実体化すること」、大画面で見る映像や製本した書籍、生演奏や生公演などを挙げています。
・後援
「創作者に対する支援そのもの」の価値、レディオヘッドの例を挙げていますが、日本では「払えない詐欺」というわかりやすい実例がありますね。アレです。
・見つけやすいこと
そのまんま。これは、上述の7つとは次元が異なり、創作物の論理ではなく集積物の論理です。Amazonのロングテールなどを挙げています。

ということで、8つのカテゴリーです。
書籍ではより細かく個別事例を取り上げていますが、ここでは割愛します。
ちなみに、記事の最後でこの論理の明らかな不足である「広告」について触れていますが、それも今回は割愛します。

さて、このカテゴリーを見て、自分が感じたのは主に3点。
1.実際にはこれらが複合的に価値を高めているように感じられる
2.後援は、それがユーザーの具体的メリットに結びつかないという点で他と本質が異なる
3.見つけやすいことは、それが個別創作物の論理ではなく集積した物の論理という点で他と次元が異なる
ということです。

まず、これらは複合的に価値を高めているのではないかということ。
例えば、「後援」。これって、単独で作用させるよりも、他の価値と絡めることで、より活きてくるんじゃないかと思います。
例示がものすごく個人的で申し訳ないですが、自分はアゴアニキさんのファンです。
カラオケでは大抵「HAKOBAKO PLAYER」を歌いますし、ふと思い出したように「サルでもわかる」が聞きたくなりますし、「パラダイス明晰夢」は聴いてるだけでちょっと泣きそうになります。
こんな痛さをカミングアウトして何事かというと、それでも突然「創作者を支援するために寄付できるようになりました」と言われて、「はいそうですか」とお金を払うかというと、多分払わないだろう、ということです。
そんな自分ですが、先日発売された初アルバム「アゴアゴーゴーゴー」は即買いしました。
ぶっちゃけた話、収録されている曲はすべてニコニコ動画でも聞くことができます。
別に音質に拘りがあるわけでもないし、PVも付いているので普段は動画で見てしまうことのほうが多いだろうと思います。
それでもなぜ自分が買ったかといえば、それがアゴアニキさんの活動を応援することにつながるから、という「後援」の気持ちが強かったからです。
さらに、その「後援」の気持ちをCDという形で「具体化」できる。これも大きいと思います。
この辺の心理は何もCDに限らず、例えばライブの限定グッズなんかも、「具体化」と「後援」が結びついていると思いますし、ライブそのものも音楽の「具体化」と「後援」、更には(ちょっと苦しい気もするが)インタラクティブな要素による「個人化」や新曲を演奏する場合には「即時性」、そもそもそれが自分の好きなアーティストのライブであるという「信憑性」も一役買っているのではないかと思います。
最近流行りのデジタルアプリストアなんかは欲しい時に買える「即時性」、一度購入すれば何度でもどこからでもダウンロードでき「アクセスしやすいこと」、アプリの検索による「見つけやすいこと」辺りの複合でしょうか。
こうしてみると、単独で存在している価値というのはむしろレアケースで、ほとんどの場合はこれらが結びついて価値を形成しているんじゃないかと思います。

ところで複合的な価値は何もプラスの場合に限らず、中にはプラスの価値をマイナスの価値が打ち消してしまっているパターンもあるように感じられます。
例えば、現在の電子書籍市場。
ほとんどの市場は、デバイスが固定されてしまったり、一度しかダウンロードできず自由にコピー出来なかったりします。
これらは、電子書籍の「即時性」というメリットに対し、「アクセスしにくいこと」という部分がデメリットになり魅力を活かしきれていないように感じられます。
さらにまずいことに、電子書籍は「具体化」できません。これもデメリットです。
特に日本人は「具体化」できないものに対してはものすごく価値を低く見る傾向があるように感じます(私見ですが)。
おそらく同じ値段で電子データと紙の書籍どちらが欲しいかと問われたら、ほとんどの人は紙の書籍を選ぶと思います。
かなーり恣意的な言い方をすれば、「欲しい時にすぐ買えることは買えるけど電子データだから実物は手に入らなくて、しかも読むためには専用デバイスがある環境が必要な書籍」なんて状況なわけです。
欲しいですか? 自分は欲しくないです。
あんまりこれ以上続けると電子書籍の話で終わってしまうのでこの辺で切りますが、ぜひとも達人出版会さんみたいな先進的な出版社さんが増えて、電子書籍が普及することを祈ってやみません。

さて、2番目の「後援が他と本質的に違う」という話。
上でアゴアニキさんの話をしましたが、例えばこの場合、現実的には「具体化」の対象はCDに収録されたコンテンツですが、「後援」の対象はアゴアニキさん本人です。
ついでにいうと、気持ち的には「具体化」の対象が「後援」それ自体に近いです。
この「後援」というのは、自分にとって現実的なメリットは何もありません。
つまり、他の価値がユーザーの利益を中心とする論理なのに対して、後援は創作者の利益を中心とする論理です。
ま、「創作者を支援する」という自分の中の満足心を満たすことで利益を得ているのだ、といえばそうなのかもしれませんが、そうだとしてもこの論理はコンテンツには紐づけられていません。
ぶっちゃけていえば、自分が買うのはアゴアニキの初アルバムである必要はなくて、アゴキーホルダーでも、携帯クリーナーでも、アゴイモウトのブロマイドでも、もっと言えばそもそもコンテンツを買わずに寄付でもいいわけです。
(ちなみにうっかりAmazonで予約してしまったため、携帯クリーナーは入手しそこねました。くそぅ)

「コンテンツにお金を払う」のではなくて、「コンテンツを作ってくれる人にお金を払う」。
これは、秩序の新しい形になりうる可能性を秘めていると同時に、人間の良心に依存した危険な戦略でもあるように感じます。
言ってしまえば、価格決定権をユーザーが握るわけです。
「聞きたかったらお金払ってね」ではなく「聴いてみて、よかったらお金もらえると嬉しいな」。
カンパウェア(ドネーションウェア)の文化に近いですね。大道芸の投げ銭のほうが近いでしょうか。
あるいは寄付の部分をアピールすらしない分、更に発展した形と言えるかもしれません。
で、問題は果たしてみんなが寄付をするだろうか、という点です。
無料でコンテンツが利用できるのに、敢えて寄付をするのだろうか。
その辺は各人の良心、あるいは長期的視点で「次の作品に投資する」と考えられる人がどれだけいるか、に依存しているように感じられます。

ただしこのあたりに関しては自分は悲観的ではなく、「振り込めない詐欺」という言葉が出来たり、例え創作者にペイ出来なかったとしてもニコニ広告を出して応援する人がいることなどから、(少なくとも日本では)ある程度はうまく機能するのではないかと思います。
現状ではpixivの投げ銭機能(pixiv詳しくないのであまり知らないが)やBIGLOBEの始めたPochi、ニコニコ動画のクリエイター奨励プログラム(これは「後援」ではないが、おそらく近い形に発展していくと思う)などが後援を純粋な形で実現している感じでしょうか。
あとは同人誌なんかもかなりの部分「後援」によるところが大きいと思います。
そういう辺りから考えても、日本では「後援」によるコンテンツの文化がうまく根付きそうな予感がしますね。

最後に、見つけやすいこと。
これは本文中でも触れられていますが、創作者の論理ではなく集積業者の論理です。
コンテンツの次元ではなくコンテンツの集合体の次元であるため、次元が1つ違うと言えるかもしれません。
これについては4Gamerにあるドワンゴの川上氏と麻生氏の対談で面白い一節があるので引用したい。

(以下、4Gamer.net 「今のオンラインゲームは気に入らない」――ドワンゴの川上氏と麻生氏が語るニコ動,そしてネットサービスより引用)

4Gamer:
 そういえば,ニコニコ生放送を見ていて「不思議だな」と思ったのは,放送する側がお金を支払う(編注:プレミアム会員限定の機能になっている)という仕組みでした。
 というのも,通常,いわゆるCGM(Consumer Generated Media)について議論をすると,いかにして良質なコンテンツをユーザーに作ってもらうか,という点がフォーカスされるじゃないですか。良質なコンテンツがあれば,それを見にくる視聴者が増え,視聴者が増えればメディアとしての価値が高まっていく……といった具合です。だから普通はCGMサービスっていうと,「クリエイターをサポートします!」って方向性を打ち出すものが多いと思うんですよね。賞金を掛けたりして。

川上氏:
 CGMのサービスについては,コミュニティにおけるそれぞれの役割というのかな,簡単に言えば,「パフォーマー」と「視聴者」という仕分けになるんですが,その数の“適切なバランス”には常に注意を払っています。
 例えば,パフォーマー(クリエイター)がなぜそのサービスでパフォーマンスをしたくなるかというと,言ってしまえば「みんなに見てもらえるから」という点に尽きますよね。とくにCGMサービスでは,パフォーマンスを披露することでお金がもらえるわけでもないし,純粋に見てもらえて,またそれに対してリアクションが得られるという楽しさがモチベーションになっているわけです。

4Gamer:
 そうですね。

川上氏:
 つまり,ここで重要になるのは「パフォーマンスをすれば見てもらえる」という環境を維持することなんですよ。ユーザーさんが作ってくれるコンテンツは確かに重要ですが,コンテンツが増えて視聴者が集まってくると,ユーザーさんの中に「荒らし」を目的としてコンテンツを作ったり,営利目的や宣伝目的でコンテンツを作ろうとする人が沢山出てきます。
 そういった面白いコンテンツを作ろうと思っていないパフォーマーが大勢いるせいで「優良なパフォーマーが埋もれる」という状況になると,パフォーマー達はその場に魅力を感じなくなってしまう。

(以上引用)

以前から、USTREAMなど類似サービスでは無料なのにニコニコ生放送が有料なのはなぜか、とか、それでもなぜニコ生を使うのか、というのはたまに考えていたのですが、その時は大概コメントが流れることによる一体感だとか、それまで利用していた愛着や惰性によるもの、といった部分しか考えていませんでした。
しかしながら言われてみれば確かに、「放送するのにお金がかかる」ということはスパム放送を防ぐことに繋がり、また時間制限は番組の質を向上させることに繋がっていたわけですね。
(ま、最近ではそれでも中身のない放送があったりしますが)
しかも、それによって放送者側にも「見つけてもらいやすくなる」というメリットが生まれ、支払うだけの理由が出来る。
検索性能だけではなく、こうした形で「見つけやすくする」というのは、仕組みとしてうまいなぁと感心しました。

また、現在感想(というのは苦しくなってきた)を書いている「ケヴィン・ケリー著作選集1」なんかも、それまでのブログという形態からより抜いて一冊の電子書籍にしたことで「見つけやすく」なっています。
おそらく書籍としてまとめられなければ、自分は「無料より優れたもの」という記事を目にすることはなかったでしょう。

現状インターネットではいろいろな物が無料に近づいていく反面、情報が氾濫し必要な物に到達するのが難しくなっています。
そういった意味で、今後の集積業者の価値は「見つけやすく」することへとシフトしていくんじゃないかと思います。
このへんの見解は本文でも触れられていますね。

というわけで、あまりまとまっていない上に感想というには程遠い、「無料より優れたもの」感想でした。
全体として、今後のインターネットコンテンツを考える上で避けては通れない問題を真正面から捉え、うまくカテゴライズしていると思います。
今後の「価値」がどうシフトしていくのかは、よく考えなければいけない課題ですね。
他にもたくさん興味深い記事があるので、それもそのうち感想(もしくは内容を土台とした有象無象)をまとめていきたいと思います。